エサが欲しいか、術が欲しいのか。
「動物園のライオンは幸せか否か」
決して私は、動物愛護の精神が強いわけではありません。
ですが、広大な自然の中を駆け巡るライオンたちが、狭い檻の中で
退屈そうに過ごしているのを見ると、いつもそう思います。
もちろん、本人達からしてみれば余計なお世話なのかもしれません。
弱肉強食の世界から離れ、命の危険もなく、毎日寝ていたって食事をもらえる生活は
ある意味、ライオンたちにとっては楽園なのかもしれません。
そして冷静に考えれば、3食昼寝付きの生活に慣れてしまった
彼らを広大なサバンナに解放したところで、大自然に
順応するのは難しいのではなかろうか。
リスクがありながらも自由を取るか、安定のために多くを諦めるか。
この選択は、人もライオンも同じような気がします。
大学卒業後、私は兼ねてからの夢であった教員という道へ進みました。
生徒たちと共に成長し、巣立っていく子供たちの道しるべとしてもやりがいは充分!
それに「公務員」という制度が安定を保ってくれる。そう思えていた頃の私は、
安定や自由といった意味を本当に理解できていなかったんだと思います。
公務員の世界は、年功序列に努力への評価も一切無し。
挙句の果てに入社初日のガイダンスで、自分が教員として満期を迎えるまでの総受給額の説明を受けた時は、言葉を失いました。
「最初のうちは年収が○○万円。少しずつ上がっていくけど計画的に使いましょう」なんて…
結局のところ「安定」とは、動物園と同じ。まさに檻の中で過ごす動物の気持ちそのものでした。
安定【あんてい】
意味:①激しい変化がなく、物事が落ち着いた状態にあること。
②物体・物質に少々の変化を与えても、もとの状態にもどろう、またはもとの状態を保とうとする性質を示すこと。
辞書で調べると概ねこのふたつが意味として並ぶが、そんな世界が「安定」というのであれば、
私にとって安定という檻は、あまりに窮屈だったのかもしれません。
だがしかし、今まで動物園で飼い慣らされていたライオンが、急にサバンナに放たれたところで生きていけるだろうか。
答えは限りなく100%に近いNOだ。エサも水も寝る場所でさえ与えられたきたライオンに自然は厳しすぎる。
それでもそこに自由はある。生きるも死ぬも、努力をするのも諦めるのも自由。
要するに、やりたいことを貫くためにはリスクが生じるということ。
だから当社では「会社」という組織の仕組みを活かしリスクから社員を守ります。
そして、ただエサを与えるのではなく、当社の教育では「エサを捕まえる術」を教える事に重視してます。
いつ来るかわからないエサを待つのではなく、自分の力でエサを捕まえる術を身に付けることで、
1人ひとりが自分で判断・行動し、どんな環境下でも生き抜くことができる強い組織を作ることに繋がっていきます。