困難、苦難、災難が無い人生は無難な人生
人生の中で、「新たなことに挑戦する」ということは、とてつもない労力とリスクが生じます。
だがしかし、死に際に「良い人生だった」と言い切れる人達の多くは、その人生が波乱万丈だったとしても、この「挑戦」を果敢に実行してきた人達だと思う。
少し自分の話をするが、私は学生の頃、語学留学でオーストラリアに行ったことがある。
留学を決意した理由も、
「教師になるのであればしっかりと英語が話せるようになりたい」
「学生のうちに世界を知っておきたい」
といったような、簡単でありきたりな理由でした。
そのせいもあってか、出発当日までの準備は荷造り以外まったくと言っていいほど何もしておらず、着の身着のまま空港へ向かうことになりました。
空港にはわざわざ実家(福島)から両親が見送りにきて、
仲の良い友人たちも、しばしの別れを惜しみ集まって来てくれました。
そして…私はその時、ようやく事の重大さに気づきました。
二十歳そこそこの小僧が生まれ育った日本を離れ、言葉も通じない国に一人身を投じる。
それまでは脳裏をよぎっても「なんとかなるだろう」と片付けていた不安が、出発を目前にし、一瞬で膨れ上がりました。
友人たちが、「大丈夫。オーストラリアは安全な国って言うし、なんとかなるよ」
と、私の不安をなんとか解消してくれようとします。
「いや、みんな行ったことないじゃん、、」
そして同時に、留学が決まってからのこの期間、まったく勉強してこなかった自分を憎み後悔しました。
「やっぱ行くのやめたい」
その言葉がもう喉元まで出かかってる時、『搭乗ゲートへとお進みください』というアナウンスが。
この時の私を振り返ると、私が初めて留学先に持って行ったのは大きな後悔と不安だけでした(笑)
そんな状態で上陸した留学先、オーストラリア。
ホストファミリーが空港まで迎えに来てくれ、1年間、お世話になる家に到着。
みんな当たり前に英語で話しかけてきました。
「なに言ってるのかまったくわからねぇ…」
食事の時に唯一聞き取れたのは「sports」と「rugby」。
自分の不甲斐なさに悔しさを覚え、ようやく「勉強しよう」という決心がその日の夜、芽生えました。
日々、学校に通う中で徐々に耳が慣れ、相手の言葉を理解するようになると、少しずつ会話が成り立っていくことに、成長を実感しました。
それからは次第に友達も増え、様々な場所やイベントに出かけたりと、1年という間でかけがえのない経験と思い出を残すことができました。
『もしあの時、空港で両親と一緒に福島に帰っていたら…』
怖くて怖くて仕方なかったけど、それでも意を決して、前に進んだ自分を今でも褒めてやりたいと私は自画自賛しています(笑)
本当に大事なのは『最初の一歩』
飛行機に乗った一歩が一番大切であり、その先は「なにかしよう」という思いさえあれば、必ず結果としてついてきます。
もしそれが、自分の理想としない結果だとしても、目の前にある出来事に対し、人はどうとでも対処できるものです。
それよりも怖いのは、なにもしなかった時の後悔です。失敗という経験は、そこから学び反省ができますが、なにもしなかったという後悔は、もう過去に戻って現実を変えることができないからです。
これは、仕事も事業も一緒。
転職や新事業への挑戦など、新たなことに取り組むときは必ず不安がつきまといます。
でも、だからといって悩んだり躊躇する時間は不要です。
「まずはやってみる。」
それがたとえうまくいかなくても落ち込んだり、考え込んだりする必要もありません。
なぜならその時は、「できてる人から学べばいい」からです。
人生において失敗や挫折は決して悪いものではありません。
その後、素直に助けを求めることと、学ぶことを忘れなければ、挑戦をした分、たくさんのものを学び、多くを語ることのできる人生になると、私は思います。